哀しさをまとった街
2015年8月1日
「初めて中に入った時は、『もののけ』がいっぱいいる感じで言葉がでなかった。でもとても温かくて、演技を見守ってくれているよ うな気持ちになった」
「ビニールの城」(唐十郎・作)の緑魔子(第七病棟)は、その舞台である閉館した浅草常磐座をそう表した。キネマと演劇の聖地・浅草には、魔物が棲む。その魔物に会いたくて、一人で浅草に立つことが時々ある。
映画館や劇場が軒を連ねていた六区に、今は一軒の映画館もない。それでもこの町は、今も昔も、ランニングシャツ、よれよれのズボンに下駄という、建造(百万円煎餅:三島由紀夫)の 出で立ちで歩きたくなる。
「下谷万年町物語」(唐十郎・作)の舞台になったひょうたん池の跡地(現WINS浅草)で、通りすがる男を品定めしている老女の街娼。朱色の紅だけが目立つ厚化粧の姿は、落ちぶれたキティ・瓢田の幻を見ているようだ。
六区の映画街を通り、ひさご通りを抜け、言問通りを左に折れて、山谷に向かう。泪橋はかつて江戸の境界で、近くには小塚原刑場や遊女が投げ込まれたという浄閑寺がある。
学生時代、幾度となく、意味もなく歩いたルート。電飾で彩られているはずの街並みは、いつの間にか、記憶の中にあるモノトーンの風景に変わっている。
芸人と役者の夢と挫折が創り上げた幻想の街。右手からは、スカイツリーが無機質な視線を落としている。
哀しさをまとったこの街が、好きだ。